- 昨今の学術論文 -

(Recent Academic Publications)


大阪大学大学院基礎工学研究科 平尾雅彦 (Masahiko HIRAO)


 内外の学術誌から発表される研究論文についていくつかの根本的な課題が指摘されて久しい。まず、論文捏造という科学技術そのものの信頼性を揺るがす深刻な問題がある。おそらくは氷山の一角が、幸運にも発覚し科学スキャンダルとして報道される。捏造は、直ちに研究者生命が絶たれる反社会的行為であることは自明であるのに次々と、そして悲しいことに近年では国内でも起こっている。学生や部下が、指導者・上司あるいはその時々の学会が期待している結果を作り出し、それが見逃されて論文として発表される。他の研究者の追試で再現しなかったり、内部告発によって真相が明るみに出ることが多い。これから科学技術分野での研究者を志す学生を、これ以上失望させる行為はなかろう。都合の悪いデータを外すなど操作・改竄して実験結果を創作する偽造も断じて許されるものではない。

 これらの確信犯ともいえる悪質なものと区別すべきであるが、さまざまなレベルの見識を疑うような論文を見かける。議論が不十分なままの未熟な論文、過去の他の研究者の成果を故意にまたは怠慢から無視したひとりよがりな論文、新規性の見当たらない演習問題的な論文、等々である。論文は読まれてこそ価値があるのに読者の存在を想定していない粗悪論文も少なくない。氾濫する学術論文は玉石混交である。

 査読システムは機能しているのか。投稿原稿は、編集者や査読者が内容の正当性、テーマの意義、オリジナリティ、有用性などを厳しく審査した後に出版される。しかし、査読者すべてがその分野の一級の専門家とは限らない。分野が細分化し、学際分野で研究活動が活発な今日ではなおさらである。また、査読より自分の研究に時間をとりたいとの声も聞く。研究者としての使命感とボランティア精神に支えられたこのチェック機構も磐石ではない。

 研究者にとって論文を発表しなければならないという職業上のプレッシャーは大きい。業績は、学位取得、就職や昇進、特許や研究費の獲得につながる。研究機関も目立った成果を求めている。政府でさえ「21世紀前半にノーベル賞受賞者30人程度を輩出することを目指す」という数値目標を掲げた。研究や技術開発の現場にはいない人々の思いつきであることを願っている。研究の場では後からついてくる成果を目標にすべきでない。コンビニ、インターネットに代表されるように、ごく手軽に欲しいものにたどり着ける社会になった。ものづくりの過程が見えず、その価値が軽んじられている時代でもある。だからといって、結果を安直に求めようとしてはいけない。

 研究という仕事は、謙虚に対象と向き合い、創意工夫と不断の考察によって新しい知見を得て、人類全体の財産に1ページを加えることである。それによって、文明の発展と生活の安定に貢献することであろう。しかも、大学など公的機関での研究活動には国民の税金が投入されている。実益に直結しなくてもいずれ何らかの形で社会に還元させる責任がある。この研究者としての使命・責任といったものは社会全体で当然のこととして共有されてきたが、いまや若い世代に教えることが必要なようである。この認識から「技術倫理」などの科目を開講している大学が増えてきた。しかし、より有効なのは徒弟制度に近いスタイルを残す大学研究室において、教員が実践によって学生に模範を示し続けることである。真理を探究することの意義・楽しさとともに、結果よりそれに至る過程のほうが大切であり、得ることが多いことも教えていきたい。教育に携わるものの責任は大きい。

(エバラ時報 No. 210, (2006)の巻頭言より転載)